2020年12月13日
エロゲミステリとしての読まれ方
今年初めて購入したエロゲー2本のうち、最初にクリアした鍵を隠したカゴのトリ -Bird in cage hiding the key-(Cabbit)の所感について今回は語ってみたいと思います。
(ここからネタバレあり)
それまでのCabbitのゲームと違い、今回はミドルプライスであり、前作の箱庭ロジックのようなトリックは正直期待していませんでした。実際、今回は前作であったフローチャート形式で、ルートそれぞれ読ませるような形式は採っていません。そして予想通り、批評空間の感想を見るとミステリーとして弱い、etc・・・といったものが大多数。
ただこのゲームを俗にいう犯人あてとして見てしまうと、本質を見失ってしまうような気がします。というのもこのゲームの最大の謎は「犯人が誰か」ではなくて、「なぜメインヒロインの透子が殺人事件の犯人は私というウソをついているかということです。
それは当然、真犯人を透子自身は知っていて、それを庇っているからに違いないと考えるのが第1感です。見知らぬ誰かやそれほど親しくない人物を透子が庇うはずもなく、当然親しい人物もしくはその関係者ということになるでしょう。ただそうすると、ゲーム開始時点を含め交友関係がそれほど広くない透子の関係者となると、ごく限られてしまうのです。しかも殺人を犯しそうな人物となると見当たらない。もちろん透子が自身が言うような無差別殺人を犯すような人物でないのは、主人公だけでなくプレイヤーも分かっていることです。それが頑なに犯人を庇うというのは、よほど親しい人物ではないかと。
そうした観点にとらわれてしまうと、ゲーム当初の主人公やみおんのように袋小路にはいってしまうのですが、ぼくも実際そうなってしまいました。というのもゲームをプレイしているうち、ミステリファンの思考でなく知らず知らずエロゲー的思考に陥ってしまったからです。
というのもエロゲー的観点で見てしまうと、見知らぬ男女が一軒家で共同生活を始めるという点に関して、それほど違和感を覚えないのですね。これは恐らく過去発売された偉大なる名作(家族計画)があるからでしょうが、常識的に考えると正直不自然で「なんのテレビドラマか」と言われてしまうはず。
実を言うと重大なネタバレになるのですが、この見知らぬ男女が共同生活をするというのがミスリードで、みおんを除く3人のヒロインはそれぞれ顔見知り以上の深い関係だったのですね。とすれば、透子が庇う犯人の範囲も広くなるわけですが、もしぼくがエロゲー生活が長くなければ・・・いやこのゲームをエロゲーでなくミステリーとして読んでいれば、容易に真相へ辿り着けた(と思う)。
よってこのゲームのミステリ要素はエロゲーというジャンルでこそ成立するものであり、最初からエロゲーでなくミステリとして読んでしまえば、批評空間で多く見られる感想のように、「ミステリーとして弱い」「内容(謎)が薄い」といった評価に陥ってしまったでしょう。ぼくが真相に容易に辿り着けなかったということは、まだまだエロゲーマーとして枯れていないのではないかと、少し安心したところがあります。
(ここからさらに重大なネタバレ)
そんなこのゲーム。エロゲーである以上、ヒロインの魅力も良くなければいけないわけですが、ぼくが思うに一番魅力を感じたヒロインはというと伊鶴です。これは彼女の造詣や属性がどうこういうより、物語に占める彼女の立ち位置にいえると思うのです。
彼女はこの物語において透子以上のキーパーソンといえるかもしれません。彼女は登場当初から、「透子でなくぼくが犯人でも構わない。」に類する発言をします。正直ぼくは端からキャラクターの言う戯言ではないかと思ってこの部分を聞き流していたのですが、実は深い意味があってのことで、終盤になってこの発言の大きな意味にに気づかされます。実際彼女は物語の核心に近いところにいるいわば共犯者だったわけですから、彼女の発言が突拍子もないものでなく、彼女自身よく考えて発言したと思われるフシがあります。主人公なやみおんそして施設の人らに頼りにされる透子よりも、誰にも必要とされない自分の方が犯人として籠の中にいるのが相応しいと思った彼女の行動は理解できます。そんな悲しすぎる彼女に惹かれないわけがない・・・
もちろんこのゲームのヒロインは少なくない悲しみを抱えて生きてきているのですが、実は一番しあわせになって欲しいとぼくに思わせたのは彼女なのです。
このゲームの収束の関しては若干不満があるのは事実ですし、透子があんな狂言をしなくてももっとうまい解決方法があったような気がしないでもないですが、ぼくが思うにはそれを含めてヒロインの魅力を考えるとミステリとして決して残念な内容であったとは到底思えないのです。
(ここからネタバレあり)
それまでのCabbitのゲームと違い、今回はミドルプライスであり、前作の箱庭ロジックのようなトリックは正直期待していませんでした。実際、今回は前作であったフローチャート形式で、ルートそれぞれ読ませるような形式は採っていません。そして予想通り、批評空間の感想を見るとミステリーとして弱い、etc・・・といったものが大多数。
ただこのゲームを俗にいう犯人あてとして見てしまうと、本質を見失ってしまうような気がします。というのもこのゲームの最大の謎は「犯人が誰か」ではなくて、「なぜメインヒロインの透子が殺人事件の犯人は私というウソをついているかということです。
それは当然、真犯人を透子自身は知っていて、それを庇っているからに違いないと考えるのが第1感です。見知らぬ誰かやそれほど親しくない人物を透子が庇うはずもなく、当然親しい人物もしくはその関係者ということになるでしょう。ただそうすると、ゲーム開始時点を含め交友関係がそれほど広くない透子の関係者となると、ごく限られてしまうのです。しかも殺人を犯しそうな人物となると見当たらない。もちろん透子が自身が言うような無差別殺人を犯すような人物でないのは、主人公だけでなくプレイヤーも分かっていることです。それが頑なに犯人を庇うというのは、よほど親しい人物ではないかと。
そうした観点にとらわれてしまうと、ゲーム当初の主人公やみおんのように袋小路にはいってしまうのですが、ぼくも実際そうなってしまいました。というのもゲームをプレイしているうち、ミステリファンの思考でなく知らず知らずエロゲー的思考に陥ってしまったからです。
というのもエロゲー的観点で見てしまうと、見知らぬ男女が一軒家で共同生活を始めるという点に関して、それほど違和感を覚えないのですね。これは恐らく過去発売された偉大なる名作(家族計画)があるからでしょうが、常識的に考えると正直不自然で「なんのテレビドラマか」と言われてしまうはず。
実を言うと重大なネタバレになるのですが、この見知らぬ男女が共同生活をするというのがミスリードで、みおんを除く3人のヒロインはそれぞれ顔見知り以上の深い関係だったのですね。とすれば、透子が庇う犯人の範囲も広くなるわけですが、もしぼくがエロゲー生活が長くなければ・・・いやこのゲームをエロゲーでなくミステリーとして読んでいれば、容易に真相へ辿り着けた(と思う)。
よってこのゲームのミステリ要素はエロゲーというジャンルでこそ成立するものであり、最初からエロゲーでなくミステリとして読んでしまえば、批評空間で多く見られる感想のように、「ミステリーとして弱い」「内容(謎)が薄い」といった評価に陥ってしまったでしょう。ぼくが真相に容易に辿り着けなかったということは、まだまだエロゲーマーとして枯れていないのではないかと、少し安心したところがあります。
(ここからさらに重大なネタバレ)
そんなこのゲーム。エロゲーである以上、ヒロインの魅力も良くなければいけないわけですが、ぼくが思うに一番魅力を感じたヒロインはというと伊鶴です。これは彼女の造詣や属性がどうこういうより、物語に占める彼女の立ち位置にいえると思うのです。
彼女はこの物語において透子以上のキーパーソンといえるかもしれません。彼女は登場当初から、「透子でなくぼくが犯人でも構わない。」に類する発言をします。正直ぼくは端からキャラクターの言う戯言ではないかと思ってこの部分を聞き流していたのですが、実は深い意味があってのことで、終盤になってこの発言の大きな意味にに気づかされます。実際彼女は物語の核心に近いところにいるいわば共犯者だったわけですから、彼女の発言が突拍子もないものでなく、彼女自身よく考えて発言したと思われるフシがあります。主人公なやみおんそして施設の人らに頼りにされる透子よりも、誰にも必要とされない自分の方が犯人として籠の中にいるのが相応しいと思った彼女の行動は理解できます。そんな悲しすぎる彼女に惹かれないわけがない・・・
もちろんこのゲームのヒロインは少なくない悲しみを抱えて生きてきているのですが、実は一番しあわせになって欲しいとぼくに思わせたのは彼女なのです。
このゲームの収束の関しては若干不満があるのは事実ですし、透子があんな狂言をしなくてももっとうまい解決方法があったような気がしないでもないですが、ぼくが思うにはそれを含めてヒロインの魅力を考えるとミステリとして決して残念な内容であったとは到底思えないのです。
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