2016年07月09日
正史に忠実なばかりに現れた瑕
これは何度も話していてまたかと言われるかもしれませんが、ぼくはいつも何本かのゲームを並行してプレイしています。
理由はというと、単に1つの物事に集中できない性格というのが1番だろうと思うわけですが、5本同時にプレイするというのはちょっと手を広げすぎなような気がしないでもありません。
もちろん5本同時にプレイといっても、進行速度は当然差が出てくるわけで、面白いゲームは進行が速く、詰まらないゲームは遅々として進まない。ただそうすると結局HD内には面白くないゲームばかりが常駐してしまうわけで、ゲームをプレイするのが苦痛で仕方ないというような羽目に陥ってしまうわけで・・・
それでは困るので、1本くらいは面白そうなゲームをプレイリストに混ぜることにしています。それをどう選ぶかというと、批評空間のデータを参考にしたりするわけですが、今回ぼくが満を持して積みゲーの山から選んだのはChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1- でした。
実はこのゲーム。例に漏れず、3年前の発売日当日に購入していました。それがなぜここまでプレイするのが延び延びになてしまったかというと、この月に購入した作品(グリザイアの楽園、お嬢様はご機嫌ナナメ、らぶおぶ恋愛皇帝 of LOVE!、Magical Charming!)が多くて、発売前それほど大きな期待をしていなかったこのゲームをプレイする意欲がかけていたこと。原画が他の作品より(ぼく的に)劣っているように感じられていたこと。発売直後から批評空間に感想が多量に投稿されていたこともありネタバレ投稿を目にしてしまったこともあって、変な先入観を持ってプレイすることを恐れたこと・・・などがありますが、まあそれは言い訳であって単にぼくが怠惰なだけなんですが。
そんなわけで今更のような感じでプレイしたわけですが、批評空間で1000件近くも感想が投稿されていることもあって、感想・意見が言い尽くされています。というわけでぼくの乏しいボキャブラリーで語るようなことはほとんどないわけですが、それでもちょっとだけ口を挟んでみると・・・
このゲーム。4章以降の言動もあってこれだけ評価の高い燃えゲーにしては主人公がダメという意見が意外に多いのですが、ぼくはどちらかというとゲーム開始直後の空気を読めない能天気としか思えない言動の方が気になりました。洗練されているとはいえない原画も手伝って、プレイしていてなぜこれだけ評価が高いのか首をひねったほど。
ただそんなネガティブなイメージが氷解していくのに時間はそれほど掛かりませんでした。1章中盤以降は物語に引き込まれていきました。それにつれて、それまであまり可愛く見えなかったヒロインたちが魅力的に感じるようになったから不思議です。
それがやや怪しくなりはじめたのが4章で、歴史ものとして忠臣蔵という物語を吉良側から見るというテーマは悪くないものの、それがややありきたりで意外性がなく牽引力に欠けるように感じられました。その原因は主人公の問題というよりもヒロインの方にあるのではと思うのですね。
そして5章も勢いは取り戻せず、ラストの大団円の仕方もハッピーエンドにするならあれしかなかったのかもしれませんが、やはり唐突感は否めない。とすると、このChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1- というゲームは3章までで完成していて4章・5章は水増しされたように感じられてしまうのです。
それでも全くつまらないというわけではなくて、付け足した部分として考えたとしてもまずまず楽しめたのは確か。それだけに4章以降のデキがさほどでなかったとしてもそれを理由に大きなマイナス点を付けようとは思いませんでした。
さてこの手の歴史人物女性化もので1番カギとなるのは、いかに正史との距離感ではないかと思っているわけですが・・・
もちろん正史など気にせず、大々的に歴史改変してしまうのも当然ありだと思うのです。ただこのゲームの場合、単に主要登場人物を女性化させているのに過ぎず、根幹部分はほぼ忠実に忠臣蔵をなぞっているというのが主眼になっているのですね。まあそこがこのゲームのミソであり面白さにも繋がっているのですが・・・ただ1つ気になる点があるのです。
それは浅野内匠頭長矩の刃傷事件で赤穂藩がお家断絶になった後、大石内蔵助が内匠頭の弟である大学を後継にお家再興を目指すのですが、ここで気になるのはゲーム中なぜ内蔵助が長矩とより関係が深い筈の阿久里でなく(CGすらない)大学を後継に選んだのでしょうか。もちろん正史ではその通りであり、阿久里(瑤泉院)は内匠頭の妻だった人で後継になれるわけはないのですが、正史をまったく知らない人からすると不思議に思ってしまう可能性は強いと思うのです。
ではなぜこういった齟齬が生まれるかというと、赤穂浪士だけでなく浅野内匠頭まで女性に設定してしまったためだと思うのですね。もし浅野内匠頭が男性とすると、家臣(赤穂浪士)の女性が惚れてしまわないわけがない主君ぶりを見せるわけで、それで女性に設定したのでしょうが、女性が殿様になれる世界ならば特に理由が書かれていない(例えば後継は男子優先等が語られていれば良かった)以上阿久里を後継に押すのが自然なように思えるのですね。
もしこのゲームが端から正史を無視するかのような展開を見せるならば、ぼくも気にしなかったと思うのですが、なまじこのゲームが正史に忠実なばかりにこういった瑕が目立ったというわけです。これは歴史人物女性化ものの悩みといえるのですが、このゲームのライターほどの手腕を持ってしても、これをすべて埋めるには至らなかったというのは、相当に難しいことなのだと思ってしまったのです。
理由はというと、単に1つの物事に集中できない性格というのが1番だろうと思うわけですが、5本同時にプレイするというのはちょっと手を広げすぎなような気がしないでもありません。
もちろん5本同時にプレイといっても、進行速度は当然差が出てくるわけで、面白いゲームは進行が速く、詰まらないゲームは遅々として進まない。ただそうすると結局HD内には面白くないゲームばかりが常駐してしまうわけで、ゲームをプレイするのが苦痛で仕方ないというような羽目に陥ってしまうわけで・・・
それでは困るので、1本くらいは面白そうなゲームをプレイリストに混ぜることにしています。それをどう選ぶかというと、批評空間のデータを参考にしたりするわけですが、今回ぼくが満を持して積みゲーの山から選んだのはChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1- でした。
実はこのゲーム。例に漏れず、3年前の発売日当日に購入していました。それがなぜここまでプレイするのが延び延びになてしまったかというと、この月に購入した作品(グリザイアの楽園、お嬢様はご機嫌ナナメ、らぶおぶ恋愛皇帝 of LOVE!、Magical Charming!)が多くて、発売前それほど大きな期待をしていなかったこのゲームをプレイする意欲がかけていたこと。原画が他の作品より(ぼく的に)劣っているように感じられていたこと。発売直後から批評空間に感想が多量に投稿されていたこともありネタバレ投稿を目にしてしまったこともあって、変な先入観を持ってプレイすることを恐れたこと・・・などがありますが、まあそれは言い訳であって単にぼくが怠惰なだけなんですが。
そんなわけで今更のような感じでプレイしたわけですが、批評空間で1000件近くも感想が投稿されていることもあって、感想・意見が言い尽くされています。というわけでぼくの乏しいボキャブラリーで語るようなことはほとんどないわけですが、それでもちょっとだけ口を挟んでみると・・・
このゲーム。4章以降の言動もあってこれだけ評価の高い燃えゲーにしては主人公がダメという意見が意外に多いのですが、ぼくはどちらかというとゲーム開始直後の空気を読めない能天気としか思えない言動の方が気になりました。洗練されているとはいえない原画も手伝って、プレイしていてなぜこれだけ評価が高いのか首をひねったほど。
ただそんなネガティブなイメージが氷解していくのに時間はそれほど掛かりませんでした。1章中盤以降は物語に引き込まれていきました。それにつれて、それまであまり可愛く見えなかったヒロインたちが魅力的に感じるようになったから不思議です。
それがやや怪しくなりはじめたのが4章で、歴史ものとして忠臣蔵という物語を吉良側から見るというテーマは悪くないものの、それがややありきたりで意外性がなく牽引力に欠けるように感じられました。その原因は主人公の問題というよりもヒロインの方にあるのではと思うのですね。
そして5章も勢いは取り戻せず、ラストの大団円の仕方もハッピーエンドにするならあれしかなかったのかもしれませんが、やはり唐突感は否めない。とすると、このChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1- というゲームは3章までで完成していて4章・5章は水増しされたように感じられてしまうのです。
それでも全くつまらないというわけではなくて、付け足した部分として考えたとしてもまずまず楽しめたのは確か。それだけに4章以降のデキがさほどでなかったとしてもそれを理由に大きなマイナス点を付けようとは思いませんでした。
さてこの手の歴史人物女性化もので1番カギとなるのは、いかに正史との距離感ではないかと思っているわけですが・・・
もちろん正史など気にせず、大々的に歴史改変してしまうのも当然ありだと思うのです。ただこのゲームの場合、単に主要登場人物を女性化させているのに過ぎず、根幹部分はほぼ忠実に忠臣蔵をなぞっているというのが主眼になっているのですね。まあそこがこのゲームのミソであり面白さにも繋がっているのですが・・・ただ1つ気になる点があるのです。
それは浅野内匠頭長矩の刃傷事件で赤穂藩がお家断絶になった後、大石内蔵助が内匠頭の弟である大学を後継にお家再興を目指すのですが、ここで気になるのはゲーム中なぜ内蔵助が長矩とより関係が深い筈の阿久里でなく(CGすらない)大学を後継に選んだのでしょうか。もちろん正史ではその通りであり、阿久里(瑤泉院)は内匠頭の妻だった人で後継になれるわけはないのですが、正史をまったく知らない人からすると不思議に思ってしまう可能性は強いと思うのです。
ではなぜこういった齟齬が生まれるかというと、赤穂浪士だけでなく浅野内匠頭まで女性に設定してしまったためだと思うのですね。もし浅野内匠頭が男性とすると、家臣(赤穂浪士)の女性が惚れてしまわないわけがない主君ぶりを見せるわけで、それで女性に設定したのでしょうが、女性が殿様になれる世界ならば特に理由が書かれていない(例えば後継は男子優先等が語られていれば良かった)以上阿久里を後継に押すのが自然なように思えるのですね。
もしこのゲームが端から正史を無視するかのような展開を見せるならば、ぼくも気にしなかったと思うのですが、なまじこのゲームが正史に忠実なばかりにこういった瑕が目立ったというわけです。これは歴史人物女性化ものの悩みといえるのですが、このゲームのライターほどの手腕を持ってしても、これをすべて埋めるには至らなかったというのは、相当に難しいことなのだと思ってしまったのです。
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