2008年08月28日

積みゲーについて考えてみる

大抵の企業なら決算前になると行う棚卸し作業。デッドストックをなるべく持たないようにと月末に行う会社もかなり有るとは思いますがその例にならうようにぼくも月末になると積みゲーが現在果たして何本あるか確認してみたりします。
今月クリアしたエロゲーは2本きり。明日にもなるとそのクリアしたゲームの数以上のエロゲーが家に届くわけですから着実に在庫は増えていくというわけで、いつかはエロゲーに部屋を追い出されないか心配になってくるわけですが・・・

その作業時ふと疑問に思ったのは積みゲーの定義・・・現在何気なくこの言葉を日常的に使ってしまっているわけなのですが、果たして積みゲーとは何ぞや?と思ってしまった次第。

シュリンクも破られず部屋の隅にころがっているゲームを積みゲーと呼ぶのに異論はないでしょう。ただインストールして一度でも動かしてしまったゲームを積みゲーと呼んでしまっていいものか。まして個別エンドは1~2度見たもののその後続ける気力が起きず中途で放り出してしまったゲームまで積みゲーと呼んでしまっていいものかと思ってしまったわけです。

普通考えると一度インストールしてプレイし始めてしまった時点でもはや積みゲーではないと思われるでしょう。ましてたとえコンプリートしていないとはいえエンディングを見てしまったゲームを積みゲーと呼ぶには語弊があるかもしれません。ぼくも実のところそう考えていました。
ただ企業的に考えてみると、使わなくなった原材料などは倉庫を不法占拠している存在にすぎず、まさしくデッドストックに違いありません。それは封を開けていない原料も封を開けて多少中身を使った原料も同じことです。
その論理でいくと、オールクリアしていないゲームはすべて積みゲーと呼んでも過言でないわけです。まだ原料を使い切っていないわけですから。

ただし、オールクリアしていなくとも積みゲーの領分から外れてしまう場合もあります。これは積みゲーの箱ないしディスクが部屋から存在しなくなった場合で、簡単にいうと処分してしまったということです。企業でもあまりに不良在庫となっていた期間が長すぎて使い物にならなくなったした原料は処分します。クリアすることをあきらめ中古ショップなどへ売ってしまった時点でもはやそのゲームをプレイすることは叶わなくなったわけですから積みゲーではなくなったというわけです。

さてその新理論でいくと、ぼくの持っている積みゲーの数は今まで考えていた数よりも相当数多いということになります。まさしく霞ヶ関の埋蔵金のようなものでいくらあるか分からない状態・・・
まあ埋蔵金なんて格好いいことを言ってますがたいていのゲームはショップへ持っていくと500円以下の査定しかならないものばかりなんで、それをアテにして予算案を計上したりしたらエライことになります・・・というかクリアしていないゲームを売るなんて言われたら某省庁の役人以上に抵抗しますが。

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