2009年12月20日

心配りが足りない

いつも来訪してくれている人は気付かれたと思いますが、前回のコラムでタイトル名を誤植をやらかしていました。
本文も誤植やら分かりにくい箇所が多くて、取りあえず気付いたところはこっそり直しましたが、今後このようなことのないよう気をつけたいと思っています。あとそんな文章にも関わらず丁寧なコメントを送っていただいたa103netさんどうもありがとうございました。

さて今回は前回からの宿題となっていた星空のメモリア-Wish upon a shooting star-(FAVORITE)についての所感です。非常に評価の高いゲームであり大多数の人がこのゲームを好意的な眼で見ている中、貶すような感想を書くのはまるで風車に挑むドンキホーテのようなもので非常に勇気がいることでしたが、a103netさんもこのゲームに対し若干懐疑的な目で見ているということで書く勇気が出てきました。(サイトのレビューでこももルートについてのミスリードについて指摘されたのは流石というしかないです)
といっても、こももルートの不満については以前ケアレスミスと評したようにまだまだ許容範囲。個人的に一番気になった(というか気に入らない)のが明日歩ルートなのです。

ここからはかなりネタばれ及び辛辣な内容になります。ご注意及びご容赦下さい


明日歩が片耳に深刻な聴覚障害を持っていることについて、ライターは序盤から巧妙に伏線を張っているつもりかもしれませんが、肝心なことを忘れてはいないでしょうか?

それは主人公に耳元で怒鳴られるほどの声で喋らなければ聞こえないほどの障害(しかも喧騒な場所でなく静かな場所で)を持っている明日歩を父親である総一朗はなぜ自分の喫茶店のウェイトレスとして雇っているかという点なのです。
いやぼくは別に聴覚障害者に接客ができないなどと言っているつもりはありません。ただ娘思いという設定の父親の総一郎がカウンター席だけの店ならともかく(CGを見る限り)それなりの規模を持つ喫茶店で何の下準備もなく明日歩をウェイトレスとして雇うのは明らかに矛盾しているということなのです。
これが例えば明日歩のためにファミレスにあるような音で知らせる以外に目でも分かる呼び出しシステムを導入していたりというような明日歩をさりげなくサポートするような考慮をしていれば、ライターの細かい心配りに感心していたと思うのです。もちろん個人の喫茶店には分相応でないシステムでしょうが、逆になぜそんなシステムがあるのか?と気付けば明日歩の障害に対する伏線にもなるわけです。
そんな工夫もせず明日歩にメイド服のような格好をさせて悦に入っている(ように見える)ようでは、はっきりいって父親失格といってもいいのではないでしょうか?そんな父親がいかに娘のことを思っているか訥々と語られてもはっきりいって白けるだけです。言動不一致もいいところですから。
想いが伝わってからの明日歩の主人公に対する豹変ぶりもあまりに唐突でかなりげんなりしましたが、それよりも父親の行動の方が異常すぎてこのあたりで正直投げ出しかけたくらいです。

このゲーム。主人公及びヒロインの親たちの無責任な行動がかなり鼻につくのですが、前回触れたこのゲームをプレイして思い浮かべたゲームというのはWind -a breath of heart-(minori)です。このゲームも違和感の残る独りよがりの伏線消化が目立つゲームですが、もう一つ主人公及びヒロインの親たちの人間性に問題が多いことも共通しています。
特にこのゲームは安易に障害のことを持ち出し伏線として使用したことに対しWind -a breath of heart-以上の怒りを感じました。(まあシステムに障害がなかっただけマシなのかもしれませんが・・・)

司田カズヒロ氏はかなり好みの絵師で評価も高かったゲームだけに期待していたのですが本当に残念です。前作のウィズ アニバーサリィーでも個人的には裏切られたと感じただけに、他の人はともかくぼくにとってはツキのない絵師といえるかもしれませんね。

この記事へのトラックバックURL

http://sakanaeye.mediacat-blog.jp/t47068
この記事へのコメント
所感、拝読しました。

まず、明日歩ルートの問題点、なるほど、と思いました。
(特にシナリオが好評の作品における)伏線の読み方、捉え方としては、
7月の魚さんのような読み方ができるといいなと思っているのですが、
なかなか難しいところです。(今回は私はできていませんでした。)
Erogamescape等を読んでいて、色々と新しい見方に気づくことがありますが、
このように、「描写していないこと」にまで突っ込んでいる
読み込んでいるプレイヤーはなかなかいらっしゃらないと思いますので。

あと2点再認識したことがあります。
1つは、障害(ヒロインが負った過去の傷などを含む)を作品に取り入れるのは、
大きなネタにはなるけれども、描写によっては諸刃の剣になる可能性があるということ。
これには、「障害を書かないと、感動をさせられないのか?」
という懸念が読み手に浮かんでしまうというだけでなく、
今回の所感を読ませていただいて、「障害を知っている人の描写が難しい」
というのもあるのだと思いました。(伏線の張り方を含めて)

個人的な印象かもしれませんが、「障害を登場人物全員に隠している」物語の方が、
当たりを作りやすいし、当たり度合いも大きいと思っています。

もう1点は、主人公やヒロイン達の親世代のつながりというのは、
物語世界を大きくし、背景設定に深みを与えるのですが、
見せ方(見方?)によっては、
単に「親世代が問題を残しまくって、それが個別ルートでのヒロインの試練になっている」
と感じられる場合もあるのだということです。
そうすると、「親世代に果たせなかったことを実現する」くらいの
出し方が無難なのかもしれません。

長文失礼いたしました。
Posted by a103net at 2009年12月20日 10:45
>a103netさん

このゲームの場合、聴覚障害というデリケートな部分を扱っていたため特に気になったという部分はありました。
ライターがもし障害者の娘を持つ父親の心境に頭を回らせればこんな不自然な行動は取らなかったと思うのですが・・・

それでももしこのゲームに対してほとんど期待していなかったとしたらこんな厳しいことは言わなかったでしょうし、
そもそも気づかなかった可能性が高かったと思います。

>障害(ヒロインが負った過去の傷などを含む)を作品に取り入れるのは、
大きなネタにはなるけれども、描写によっては諸刃の剣になる

同感です。

こういった手法を取り入れるゲームが多くて、
見方が厳しくなっている部分はあるのですが・・・

最後になりましたがコメントと感想どうもありがとうございました。
Posted by 7月の魚7月の魚 at 2009年12月20日 11:55
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません
上の画像に書かれている文字を入力して下さい