2013年07月21日

読み違いを犯した罪

今年もまた暑い夏がやってきました。
汗っかきな体質のぼくは当然のように夏は苦手でして、早くも夏バテの兆候が表れています。というより仕事バテと言った方が正確なのでしょうが、暑いことで有名な当地の夏をこのまま越すことが出来るのか不安で一杯です。どこか涼しい高地で温泉でも浸かりながら避暑でもできれば最高なのですけどね。
まあそんなことを言っても土台無理な話ですので、仕事の終わった後はクーラーを効かせた自室でのんびりエロゲーでもして過ごすのが関の山といったところです。といっても疲労から寝落ちしてしまうこともたびたびで、あまり積みゲーも崩せていないのですが・・・

そんな中、プレイ開始して3か月有余掛かってようやくウィッチズガーデン(ういんどみるOasis)をクリアすることが出来ました。前にも話したかと思うのですが、プレイ開始当初はあまりに退屈で毎度寝落ちしてしまい「もしかしてe‐moteで乳揺れするのが催眠術の効果となって働いているのか?」と疑わないでもなかったのですが、これはさすがにメーカーには失礼な発言でした。

(ここからネタバレ)

といっても共通ルートの雰囲気は正直ぼくには合わないものでした。これはサブキャラの1人であるこはるが主因であることに間違いなくて、なぜか彼女の言動が癪に触って仕方なかったのです。まあこれはぼくがトシをとって気が短くなったためかもしれませんが、彼女のバトンが始まるたびにイラついてマウスを高速クリックしているようでは、とても雰囲気を楽しむという心境にはなれません。風城というテーマパーク自体がぼくにはそれほど魅力あるものに感じられなかったのも、そうした点が遠因になっているのでしょう。
そんな共通ルートを経て、最初にプレイした莉々子ルートは凡百の萌えゲーを見るようでほとんど楽しめず、続いてプレイした水澄&えくれあルートもその印象を拭えなかったのですが、物語の核心部分に触れる涼乃・あやりルートに入ってからは「批評空間で高評価されているのもあながち間違いではないかな」と思い直していました。一見ご都合主義満載とも思われる設定であるこのゲームに、ぼくは何か奥深く漂う制作者の真意と思われるものを嗅ぎとったのです。

未曾有の大災害であり今もなお人々に深い傷を与え続けているのが福島原発の事故ですが、このゲームはこの原子力発電の問題をアイデアにストーリーを膨らませたのではないかと思われる節があるのです。
ウィッチを核燃料。抽出装置を発電装置。そして発生するモンスターを放射能として置き換えるとそれは明らかなように思えたのですが、現在国論を二分する問題にあえて真正面から取り上げたその気概には正直舌を巻きました。例えば東日本大震災をアイデアにした(と思われる)ゲームといえば穢翼のユースティア(オーガスト)が思い浮かぶのですが、このゲームはあくまで地震を題材にしただけであって、あの大震災を正面から扱ったわけではないように思えました(もちろんゲーム自体は楽しめたようにぼくとしてはかなり高い評価を与えているのですが)。
しかしこのウィッチズガーデンは風城市の今後の未来を語ることによって、原発への賛否を明らかにすることになる。モンスター(放射能)が湧き(漏れ)出した原因があやりと判明して風城市の人々は冷静でいられるかどうか?またモンスターの危険性を知らされてもこれまでの生活を続けるためそのままウィッチを燃料とするシステム(発電)を続けていくのか?その回答がどうであれ「ういんどみる」という萌えゲーの色彩が濃いメーカーがこんな社会派なゲームを出したことに驚くとともに拍手を送りかけたのです。

しかしそれはあやりトゥルーシナリオを最後まで終えて落胆に変わりました。というのも制作者には原発の功罪について明らかにするなんて意図は全くなかったのです。折角社会性のあるテーマをモチーフにしたのだから、制作者はそれに対するキッチリとした答えを示す必要があったと思うのです。それがモンスターの発生(放射能漏れ)を「人々と力を合わせてモンスターに当たる。」といった能天気ともとれる回答ではお話になりません。

とここまで書いてきてこのゲームが原子力発電の問題を取り上げたというのは、ぼくの深読み過ぎ・・・いや読み違いだった気がしてきました。それなら制作者には全くの責任はないのですけど・・・それでも高まった期待があっけなく萎んでしまったことを思うと、とてもこのゲームに高い評価を与えることは出来ないのです。

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