2015年04月30日

残念だったのはヒロインでなく

今回はぼくが初めてプレイしたチュアブルソフトのゲームである残念な俺達の青春事情。に関する雑文です。といっても積みゲーの山の中にはチュアブルソフトの過去作が2本あり、決して初めて買ったゲームというわけではありませんが・・・

さて以前のチュアブルソフトといえば1年に1作品リリースするかどうかというどちらかといえば寡作の印象があったブランドで、看板絵師(だった)のぎん太氏の最近ではあまり見られない(こうした他には類を見ない絵師というとやや絵柄は異なるがBeFのメイン原画家だった厘京太朗にイメージが重なる)特徴のあるキャラクターが魅力というイメージだったのですが、最近はぎん太氏がブランドを離れたこともあってそのイメージも薄れつつあります。
そして現在の看板絵師といえばまんごープリン氏。確かぎん太氏も女性だったという記憶があるので、性別が同じ(らしい)という共通点はありますが、絵柄は流行の萌え絵寄りになり「これぞチュアブルソフト。」という特徴さに欠けてしまったような気がします。(どちらが良いかというのは一概には言えませんが)
ただ絵柄という特徴が失われた分、何か別の明確な方向性を発して置かないと幾多もあるメーカーの中に埋もれてしまいかねない。ぎん太氏が離れて以降、関谷まさみ氏を原画家に起用したスイートロビンガールはともかく、他のゲームはどうも印象の薄い作品ばかりがリリースされ、その危惧が現実のものになりかけつつあったチュアブルソフトにとって昨年9月にリリースされたあの晴れわたる空より高くはそれを覆すスマッシュヒットといっていい作品でした。そんな「あの晴れわたる空より高く」は看板絵師であるまんごープリン氏がメインではなかったことから、氏がメイン絵師を担当する残念な俺達の青春事情。もその勢いに乗ってくるかと思わせるところ。その上実績充分の羽鳥ぴよこ氏とタッグを組むわけですから萌えとシナリオの両立も十分。設定もいかにもぼく好みというわけでそれんなりに期待してのの購入でした。

そんなこの作品でしたが、現在の批評空間のデータ数を見ると「あの晴れわたる空より高く」の4分の1以下でかなり寂しくなっています(それでも前々作の我が家のヒメガミさまっ!の埋もれっぷりよりははるかにマシと言えますが)。中央値も70点台前半をうろうろしていて、タイトルどおり残念な結果となってしまっているようです。その原因はエロゲーファンならおおよそ察しられるわけですが・・・


(ここからネタバレ)


このゲームのウリと思われたのが、まずヒロイン全員が残念系女子ということ。狙ってでなく偶然(結果的)にヒロインの大多数が残念なことになっていたというゲームはこれまで見かけたことはあったのですが、最初からヒロイン全員が残念系と公言しているというのは、ぼくの記憶ではほとんど覚えがない。つまり残念系という萌えゲーのヒロインにとってはマイナススタートとなる部分を、どうプラスに昇華していくかがライターの手腕となるわけです。

そしてもう一つが主人公とヒロインたちが所属する非公式生徒会と「もっさん」ことサブヒロインの一人である橋本会長が率いる生徒会との関係。非公式と自称する限りは当然生徒会とは確執や対決する場面があるはず。でなければそもそも「非公式」と名乗る意義が見出せず、存在意義すら問われてしまう事態になりかねない。この生徒会いや「もっさん」との関係もこのゲームが良作になる上でのカギとなるとぼくは見ていました。
こうした生徒会との対決となるゲームの場合、主人公側が善で生徒会側を悪役と設定してしまう方がプレイヤーにとって分かりやすいしライターにとっても楽なのですね。ただこれではあまりに芸がないし「もっさん」のキャラ的に相応しくない。もちろん生徒会長の預かり知らぬところで部下〈副会長等)が暗躍しているというケースも考えられるのですが、ならば主人公側を悪というよりも生徒会のアンチテーゼ的存在として活かした方がより面白くなる可能性が高いです。法(校則)に捉われた頭の固い判断しか出来ない生徒会のアンチテーゼとして、主人公やヒロインが裏で活躍する・・・こんなストーリーが展開されるとぼくは思っていました。

ただこれがぼくの考えたとおりには進行しなかったのですね。というより非公式生徒会というのはいわゆる便利屋のようなもので、生徒会とイデオロギー的対決するシーンは全くといっていいくらい見られないのです。一般生徒の学園生活を楽しませるという目的は一致していても、その手法が違うという意味で主人公たちと「もっさん」が対決するというシーンが多く展開されればプレイヤーにとって考えさせるシナリオになったのですが、単なるドタバタ(このドタバタシーンがあまり面白くない)した日常が続くだけではいかにも生徒会のアンチテーゼ的名称である「非公式生徒会」なんて大仰なものを付ける意味は全くといっていいくらい無かったとぼくは思うのです。

では当初の残念系ヒロインとの恋愛という点はどうだったかというと、これもあまり機能していない・・・というよりヒロインたちがちっとも残念でないのです。燐音のコミュ障は序盤でほぼ解決(直る)してしまうし、ちまちの守銭奴もほとんどそれを生かされたシーンがない(そもそも秘密基地をほとんどロハで提供している時点で守銭奴ではないですし)。咲耶のアホというのもそれは学業に関することだけで社会常識が欠けているわけではないですし、棗先輩の自堕落で生活性ゼロというのは確かに残念なのかもしれませんが、これは他の美少女ゲームでよく見られるタイプのヒロインであり、残念系と胸を張るほどの目新しさはない。この陣容でヒロイン全員が残念系と謳ってしまうのでは看板倒れになってしまったのも当然ではないかと思うのです。
また他の非公式生徒会のメンバーである慶二や道太郎も基本的に「いい奴」で残念系という言葉にはそぐわない。唯一「非公式生徒会」のメンバーの中で文句なしに残念系といえるのが主人公で、寒いギャグを言ったり個別ルートになるとヘタレになったりと一人残念を貫いています。とするとこのゲームの本当のタイトルは俺達でなく「残念な俺の青春事情」ではなかったかとツッコミを入れたくなるのですね。

そんな残念さが欠けていたヒロイン連の中で、ぼくが唯一残念だなと思ったのがサブヒロインである「もっさん」ではないかと思うのです。いい人過ぎて主人公どころか学園側にも利用されるなんて本当に残念だし、家庭も貧乏でバイトに明け暮れるのも残念。そんな陰を微塵も見せないのもまるで女神のようで残念だし、そのうえ個別ルートもおざなりで「ちょろカワ系」と謳われている咲耶以上に主人公にちょろく堕とされているのも残念。こう考えるのもぼくが考える残念のベクトルが違っているのか、それとも主人公以上にぼくが「残念」なのかよく分からなくなったといったところで、この雑文を締めたいと思います。

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